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by M-mo-do
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青島幸男さん死去

昨日ラジオからこのニュースが流れていました。
青島さんは意地悪ばーさんのイメージが強く、なんだか寂しい気持ちになりました。
東京都知事の石原知事と同じ年だそうで、まだまだやり残した事もあっただろうにと言われていました。まだ74歳死ぬには早すぎた人物だと思いました。

前東京都知事の青島幸男さん死去

 放送作家、俳優、小説家、国会議員とマルチな活動で知られた前東京都知事の青島幸男(あおしま・ゆきお)さんが、20日午前9時31分、骨髄異形成症候群のため東京都内の病院で急死した。74歳。東京都出身。先月1日に自宅で転倒し、入院して病気が判明。19日夜までは元気だったが、この日朝、容体が急変した。「ビールでも飲みたいね」が、家族に残した最後の言葉。妻美千代さん(69)は「死に方も含めて、最後まで青島幸男らしかった」と、さばさばした表情だった。
 家族にとっても、突然の別れだった。この日夕方、東京都江東区の自宅マンションで会見した美千代さんと長女美幸さん(47)によると、都内の病院に入院していた青島さんはこの日朝、危篤状態に陥った。午前8時50分に病院から連絡を受け家族が駆け付けると、酸素マスクを付けたまま意識はなく、間もなく息を引き取った。美千代さんと美幸さん、長男利幸さんと妻、2人の孫が最期をみとった。
 青島さんは秋ごろ体調を崩し、先月1日、自宅で転倒し、病院で頭部を8針縫った。その際「立ちくらみがする」と訴え、検査の結果「血液の状態がおかしい」と言われ、入院。骨髄異形成症候群と診断された。脊髄(せきずい)に穴を開ける治療法も勧められたが、家族は「もう十分に生きた。延命だけのために苦しめたくない」と拒否。病名も、最後まで青島さんには伝えられなかった。
 入院中は血小板の輸血など治療を続けたが、青島さんは、毎日見舞いに訪れる家族を「よく来たねえ」と笑顔で迎え、病室ではテレビで相撲を見たり食事のおかゆも食べていたという。
 亡くなる前日の19日夜も、穏やかな表情で、美千代さんを「ママ、ママ、ママ」と、甘えたような口調で迎えた。「ビールでも飲みたいねえ。でもここは病院だからなあ」と、笑わせた。家族が「ビールは明日持ってくるから」と言ってなだめ、青島さんは午後8時に就寝した。これが、家族との最後の会話になった。遺言もなかったという。
 利幸さんは「本人も、こんなに急に亡くなるとは思っていなかったのではないか。まだ若かったし、もうひと花咲かせられると思っていたので、残念です」。入院したまま、自宅に帰ることはなかった。
 美千代さんは「何事にも意欲的で真剣に取り組み、家族を大切にしてくれた」と感謝の言葉を述べた。「人間万事塞翁(さいおう)が丙午(ひのえうま)」で直木賞を受賞した時の、うれしそうな顔が忘れられないという。
 父と一緒に選挙に出た美幸さんも「死に方も含めて青島幸男だった。いい顔をしていたし、いい死に方だった。満足し合えた別れでした」。報道陣に「ビールをお供えするのですか?」と聞かれると「本当は病院でこっそり、飲んでいたんです」と、いとおしそうに笑った。
by M-mo-do | 2006-12-21 10:50